「全国革新議員会議」幕引きへ ①

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 早くから"絶滅危惧種"(事務局)と言われていた「全国革新議員会議」が、今夏の沖縄合宿で幕引きとなるとの通知がきた。七四年に全国の革新無所属と市民派の議員に総結集を呼びかけ、同会議の結成に一役買い、結成以来三十四年間の歴史を見てきた者として、感無量のものがある。

 結成の経緯は後述(②)するが、準備段階の事務局として労働情報編集長(当時)の樋口篤三氏に大変お世話になった。呼びかけ人に名を連ねたのは十数人の革新無所属議員だったが、すでに半数の方が故人となっている。

 準備の段階では東京で数回の打ち合わせの後、全国への呼びかけ人の代表を務めたのは私。樋口氏の説明では「既成の諸党派との関係がないのでー」と、無難だからというのがその理由で名前が利用されたということだった。

 一匹狼的な議員は個性が強く、会の名称に「革新」をつけるか否かで議論があったのが思い出されて懐かしい。頑ななまでに「私は革新」と標榜する人もいれば、既成の革新政党と同一視されるのを嫌い、「私は市民派」を強調する人もいる。

 革新無所属と市民派には確たる定義はないようだが、敢えて階級意識=階級性の有無がその違いの一つであるとすれば、私は紛れもなく革新無所属の議員だった。

 

 初代の事務局を担っていただいたのは、呼びかけ人に名を連ねた立川市の島田清作氏だった。暫定の名で長い間担当していただき、私も多少のお手伝いをさせていただいた。その後は、市議会を去られた後も担当していただいた上福岡市の岩木英二氏(故人)だった。氏が病に倒れたと聞き、島田氏と共に見舞い、島田氏と二人で"流れ解散"止むなしと考えたのだが、その後の十年近くも事務局を引き継いでくださったのが埼玉のグループ。とりわけ、狭山市の秋山淳子氏には心から感謝している。

「全国の戦う仲間の皆さん、また、どこかでお目にかかりましょう。どうぞ、さらなる戦いを!」

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ふくお ひろし

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