筑紫哲也さん ありがとうございました

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筑紫哲也さんの訃報に接し、病気に打ち勝って現場に復帰されると信じていただけに、ショックを受けると同時にさまざまな感慨がよぎった。ご冥福を祈ると共に「ありがとうございました」とお礼を申し上げたい。

 

 

筑紫さんとの出会いは、氏が『朝日ジャーナル』誌の編集長時代に創設した「朝日ジャーナルノンフィクション大賞」に私が応募し、大賞を受賞したのがきっかけだった。それ以来、常に私の政治活動に関心を寄せていただいた。

朝日ジャーナル誌の「多事争論」と、後のTBS系「筑紫哲也 NEWS23」の「多事争論」にも取り上げていただいた。私の引退を知ったときには、「週刊金曜日」の一頁を割き、「最後の『議会通信』―長年ご苦労様でした」のタイトルで書いていただいた。こうして取り上げられるたびに、一人の地方議員として議員冥利に尽きる思いがしたものである。

お許しいただいたつもりで『朝日ジャーナル』誌の「多事争論」(1986.8.15-22)と、「筑紫哲也 NEWS23」の「多事争論」の一部を転載させていただく。

 

――(朝日ジャーナル)大賞に選ばせていただいた「たった一人の革命」は東京都下の市議会議員の筆になる物語である。一匹狼、爆弾男、デスマッチ議員などと呼ばれるこの無所属議員は、見かけは温和な紳士だが、ひとたび暴れだすとかなり柄がよくない。不正、不法と思う事柄に出合うと、宣伝カーを走らせ、「紙爆弾」(議会報告)を飛ばし、仲間を議会傍聴に集め、時には委員長席を占拠したりする。その追及に端を発して市長、助役を含む三人の市上級幹部の首が飛んでしまう。たった一人の議員の反乱でそんなことがおきてたまるか、と留任を迫る与党議員たちに向かって当の市長は「留まってもまたあの議員にいじめられるだけだ」職を投げ出したという。

 次から次と問題に火を付けていくさまは一読、「愉快犯」の趣がないではない。が、小は弁当持参で議員たちのタダメシの慣習を封じてしまう話から、大は議場で時間制限なしの自由討論、市当局の情報(資料)完全公開の慣行の確立まで、この議員がやってきたことは「ハンパでない」。

 日本中で地方自治法にこれほど精通している議員はいない、といわれる筆者の筆は地方政治の実態をビビットに、痛烈に、裸に剥いて私たちの前に示す。だが、私にとっていちばん印象的だったのは、「たった一人」でも、やりようでは、その意思次第では、これだけのことがやれるという一事である。

 三〇四の夏、衆愚の多数派に手も足も出ない、と軟弱・傲慢な少数派を気取りたい向きへの痛烈な反撃がこの作品にはたくまずしてこめられている。筑紫哲也ーー

 

 筑紫哲也NEWS23「多事争論」

――(注・私の活動と武蔵村山市議会の現状の説明の後)全国の地方議会に、一人でもまともな議会がいれば議会は変わるものですーー

 

筑紫さんには、このように身に余る最大限の評価をいただいた。いずれも私の生涯の宝物である。引退後に一度お目にかかったときには、「体調はよくなりましたか」と声をかけていただいたのに、先に逝かれるとはー。

 

筑紫さん、貴方は私の最高の理解者でした。注目していただきながら、自信を持って市議会議員の活動を全うすることができました。議員引退後の今も、各地の「開かれた議会」を目指す戦いに加わり、志のある後輩を育てるために活動していることを報告いたします。

 ありがとうございました。どうぞ、安らかにーー。

 

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ふくお ひろし

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