「活字」は戦いの武器だ
お祭り、盆踊り、ラジオ体操-など人の集まるところに出かけた総選挙の予定候補者が、相手構わずにペコペコやっている情けない姿が毎日のようにテレビで放映されている。
そんな行為が得票に結びつくと思われているとすれば、有権者はずいぶんなめられたものである。ペコペコをやらずに、定例会ごとに発行する「議会報告」だけで選挙の激戦を切り抜けてきた私としては、「よく、恥ずかしくなくやれるものだ」と思いながら、シラケ気味にテレビの画面を見ている昨今である。私は"事前ポスター"を一枚も貼り出したことがない。また、戸別訪問でお願いに歩いたこともない珍しい議員だったが、批判に満ちた辛口の「議会報告」と、何か発言すると競って記事にした新聞各紙が抜群の知名度をさらに高めたてくれた。低空飛行ながら、ただそれだけで議席を維持していたものである。
議員の活動でもっとも大切なのは「議会報告」である。私はその紙面で他の議員を批判する記事は名指しで書いてきた。嫌われるが、書くことを最大の武器としていた私は一切の妥協を排して書き続けていたものである。
たまたま、私のブログにコメントをいただいた室戸市の谷口総一郎議員のHPを開く機会があった。その8月6日の記事を一読して「天晴れ」の一言を送りたい。谷口氏は議会で自分の目で確かめた真実、他の議員の発言等(発言が一つもなかったことを含め)を克明に書いている。その行為が議会で問題にされ、議員総会なるところで市長も参戦する中で散々批判の声にさらされたというが、その不当な圧力を撥ね退けて果敢に戦っている。
議会改革の志があっても、嫌がらせや圧力に屈して戦いを放棄する議員は多いだけに、「我が意を得たり」の思いで「天晴れ」の声を送るゆえんである。我が国の国民性には「批判」と「悪口」を混同して嫌う風潮がある。だが、議会の真実を広く市民に知らせるのは議員の責務である。谷口氏はその役割を割り切って果たしている数少ない議員である。
現職時代の私は、師と仰ぐ作家の杉浦明平先生(故人)の「真実は実名で書いたほうが迫力があるものだ」との教えを忠実に守っていた。筑紫哲也氏(故人)にその話をしたところ、「迫力がありすぎますね」と冗談ぽく言われたことがあるが、問題によっては名誉毀損に問われかねない書き方になることがあっても、信念は曲げたことがなかった。
一度だけ、自民党の落選市議に名誉毀損で民事告訴されたことがあるが、勝ち目がないと見た相手の弁護士の説得で当の議員が取り下げて決着した。自民党公認で4回当選の現職が、私の「活字の威力」で公認を外され、あえなく落選となった一件の逆恨みだったが、痛快極まりない思い出である。
「反ふくお」に凝り固まった社民党の議員(当時)がやはり、私の痛烈な批判に耐えかねたのか、「告訴したい」と法律事務所に相談に行ったが、「ふくおさんと戦っても、勝てないですよ」と説得されて諦めたと、当の法律事務所の人から聞いて笑ったことがある。散々口コミで誹謗中傷する輩を叩き伏せるのも「活字の威力」である。何だか自慢話めいたが、各地の議会に谷口氏のような戦う改革派が増えることと、それらの改革派が議会を市民の手に取り戻すために筋を通して戦ってくることを期待している。
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